心理学系の誕生と発展
筑波大学は、東京教育大学の移転を契機に、1973年に設置されました。大学設置の際、教育組織(学群学類・大学院)とは別に学問の研究領域に対応した研究組織として学系が置かれました。心理学系は東京教育大学心理学科と附属教育相談研究施設の教員を母胎として1975年4月に発足し、初代心理学系長として内山喜久雄教授が就任しました。
筑波大学心理学系は、東京教育大学、東京文理科大学、東京高等師範学校の心理学教室に遡ることができます。東京高等師範学校当時は、松本亦太郎先生、松本孝次郎先生、大瀬甚太郎先生が教授として活躍されました。東京文理科大学開設当初は、田中寛一教授、楢崎浅太郎教授、武政太郎助教授、依田新助手が学生の指導をおこなっております。東京教育大学の発足当時の心理学教室はさらに充実して6講座でした。実験心理学3講座には、第1講座に小保内虎夫教授・小笠原慈瑛助教授、第2講座に中村克巳教授・上武正二助教授、第3講座に依田新教授が配置され、教育心理学3講座には、第4講座に中野佐三教授・小宮山栄一助教授、第5講座に後藤岩男教授・長島貞夫助教授、第6講座に桂広介教授がそれぞれ配置されていました。
東京教育大学から筑波大学への移転は、それぞれの大学が学生を抱えているため、数年にわたって行われました。大部分の教員は東京教育大学併任でもありましたが、1978年3月末日に併任者が消え、移転が完了しました。その間、心理学研究室と学系事務室も、体育科学系棟や文科系修士棟を間借りしながら移動し、現在の人間系学系棟に落ち着きました。
筑波大学心理学系の発足当時は、教授8、助教授8、助手6という構成でしたが、その後、大学の発展に伴って教員数も増え、5つの分野(実験心理学、教育心理学、発達心理学、社会心理学、臨床心理学)において、教授、准教授、講師、助教、準研究員あわせておよそ30名が心理学の教育研究に従事するようになりました。心理学系の教員は、長年にわたり、第二学群人間学類、教育研究科(修士課程)、心理学研究科(5年一貫制博士課程)で学生教育に携わってきました。1989年には、日本初の夜間開講の教育研究科カウンセリング専攻が大塚キャンパスに開設され、以後カウンセリングコースで社会人教育にも従事してきました。
しかし、1990年代後半から、大学改革の大きなうねりの中で、教育組織は大きく変化しました。心理学研究科が担ってきた5年一貫の大学院教育は、大学院改組に伴って2001年4月に設置された人間総合科学研究科の心理学専攻、ヒューマン・ケア科学専攻、感性認知脳科学専攻に引き継がれ、さらに2007年度の再改組を経て、2008年4月から博士前期課程2年と博士後期課程3年に分かれました。そして、心理学専攻の教員とヒューマン・ケア科学専攻の心理系教員が再びいっしょになることによって前期課程心理専攻が誕生しました。その結果、5年一貫制の3つの専攻から前期課程2専攻(心理専攻と感性認知脳科学専攻(前期))と後期課程3専攻(心理学専攻、感性認知脳科学専攻(後期)、ヒューマン・ケア科学専攻(後期のみ))が生まれ、現在に至っています。大塚キャンパス(現東京キャンパス)における社会人教育についても、人間総合科学研究科の改組に伴って、2008年4月に、教育研究科カウンセリング専攻が生涯発達専攻カウンセリングコースとなり、博士後期課程として生涯発達科学専攻が新たに設置されました。大学院改組と平行して学士課程も改組され、2007年度には、人間学類心理学主専攻を母体として人間学群心理学類が新設されました。
心理学系から人間系心理学域へ
このように、ここ10年ほどの組織改革の過程で、筑波大学における心理学の教育と研究は複数の独立した組織で行われるようになり、心理学系は、当初の研究組織としてよりはむしろ,それらを結びつけるプラットホームとしての性格が顕著になっていきました。しかし、2011年9月末をもって学系という教員組織は名実ともに廃され、心理学系はその39年の歴史に幕を下ろしました。心理学系の教員は、同じく旧東京教育大学教育学部を前身とする教育学系ならびに障害科学系の教員とともに「人間系」という大きな組織に属し、「人間系心理学域」という内部組織として緩やかなまとまりを保っていくことになりました。しかしながら、筑波大学における心理学の教育と研究を担う複数の組織を結びつけていくという役割はこれまでと変わりありません。組織の流動性が高まり、大学における教員の離合集散が激しくなればなるほど、人間系心理学域という教員のまとまりは重要になっていくことでしょう。